ちょっと調べてみました 十一屋 福福亭とん平

店名の由来
 享保十七年(1732)初演の『壇浦兜軍記』(文耕堂・長谷川千四合作)の第一・春日の里の段で、平家滅亡後、一門の仇源頼朝を討とうと苦心する上総景清と薩摩五郎は、大仏供養に頼朝が来ると聞いて、春日の里へと来て、茶店に休んだ時の遣り取りです。
 浄瑠璃本文には、「見れば門幌(のうれん)にも書いてある、家名は十一屋か、この心推量致した、饅頭を十買へば一つ添ゆると云ふ心で十一屋と付いたの、そふかそふか」、「ほんに是もよい御推量、成る程左様と申したいが、こつちの心はそふでない。朝七つから店出して夜の四つに店仕舞、七つと四つの時を合はせて十一屋と申します」(日本古典文学全集・浄瑠璃集)
 大意は、「見れば暖簾に、十一屋という名が書いてあるが、これは饅頭を十買えば一つ景品に付けると言う意味か」「その通り、と言いたいところですが、こちらの思いは、朝の七つ(午前8時ころ)に店を開いて、夜の四つ(午後10時ころ)に閉めるので、七つと四つを足して十一屋と申します」です。
 これは開店・閉店の時刻から名づけられた、日本版セブン-・イレブンではありませんか。どちらが先かと調べたら、アメリカでの開店は1927年だそうで、十一屋の方が早かった、というだけのお話です。
 ちなみに、上野池之端の櫛屋さん、く(九)とし(四)で「十三屋」さんは、元文元年(1736)開業だそうで、これも十一屋がの方が先です。